鳥居清長「三代目市川八百蔵の助六」『助六由縁江戸桜』天明4年(1784)/メトロポリタン美術館蔵・Open Access(CC0)accession JP2603(objectID 56749)
芝居見物のあとで、ふと思う。
あの場面の土地は、いまどうなっているのだろう。
観た演目だけを、歩いた場所だけを、
切絵図と現在の風景で結んでいく——
それがこのサイトの決まりごとです。
〔江戸切絵図〕本所絵図 景山致恭・戸松昌訓・井山能知 編/尾張屋清七 刊/嘉永2-文久2年(1849-1862)
国立国会図書館デジタルコレクションより転載(保護期間満了・PDM)
dl.ndl.go.jp/pid/1286679
※ 実線のピンは絵図の上で文字を読めたもの、破線は照合中。 松浦豊後守の屋敷には御紋が付いている。豊後守は平戸藩の分家・平戸新田藩(一万石)の官位で、 嘉永5年(1852)の武鑑も同藩の屋敷を「上本所大川端」と載せる。御紋=上屋敷の印は、分家の上屋敷として合う。 『松浦の太鼓』の松浦侯(本家)の上屋敷は浅草・鳥越(蓬莱園跡)。本家も本所に下屋敷を持ったが、 この区画との関係は要調査。 ——当初この区画を「松浦壹岐守」と読み、上屋敷か下屋敷かで読みが割れていた。 2026年(令和8年)8月、判読の訂正と武鑑の照合で決着した。
序幕は雪の両国橋。芝居では松浦侯の屋敷は吉良邸の隣家だが、史実の吉良邸の北隣は旗本・土屋主税で、松浦家の上屋敷は川向こうの浅草・鳥越にあった。隣人は別人だった——その落差を歩いて確かめる。三度の観劇記録あり。
記事を読む →「月も朧に白魚の」——お嬢吉三の名台詞の川端。歌舞伎を観はじめた最初の月(2016年・團菊祭 夜の部)に出会い、シネマ歌舞伎でも重ねて観た、当サイトの原点の演目。3度目になるはずだった通し狂言は、台風19号で幕が開かなかった。庚申塚の所在も横網町付近説・百本杭説があり、まだ特定できていない。
巡礼準備中花川戸助六が通った吉原。いまは地名と「見返り柳」、大門の交差点名が残る。土地の記憶に敬意を払いながら、演目と場所を結ぶ。
考証中防災団地の中に囲われて残る梅若塚。中世の梅若伝説から連なる「隅田川物」の核心へ、現代の風景から遡る。
考証中生の観劇78回の記録(購入履歴・筋書で裏取り済み)にある演目だけを扱います。
未訪問のスポットは公開しません。写真はすべて自分の足で撮ったもの。
確認できない話は「伝承」「諸説あり」と明記。わからないことは「要調査」と正直に。