鳥居清長「三代目市川八百蔵の助六」蛇の目傘を差し、桜の舞う吉原に立つ助六
歌舞伎あるき

歌舞伎あるき

演目の舞台を、歩いて確かめる

鳥居清長「三代目市川八百蔵の助六」『助六由縁江戸桜』天明4年(1784)/メトロポリタン美術館蔵・Open Access(CC0)accession JP2603(objectID 56749)

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芝居見物のあとで、ふと思う。
あの場面の土地は、いまどうなっているのだろう。

観た演目だけを、歩いた場所だけを、
切絵図と現在の風景で結んでいく——
それがこのサイトの決まりごとです。

78
生の観劇記録
2016 年〜
團菊祭から十年
100 %
史実に出典
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借り物の写真

切絵図でめぐる

Edo Map
〔江戸切絵図〕本所絵図。隅田川の東岸、本所一帯の武家屋敷と町家を色分けで描いた嘉永から文久にかけての絵図 松浦豊後守御紋=上屋敷 回向院境内は絵入り 両国橋長サ九十六間

〔江戸切絵図〕本所絵図 景山致恭・戸松昌訓・井山能知 編/尾張屋清七 刊/嘉永2-文久2年(1849-1862)
国立国会図書館デジタルコレクションより転載(保護期間満了・PDM) dl.ndl.go.jp/pid/1286679

この絵図の合印 御紋=上屋敷 中屋敷 下屋敷 神社仏閣 町家 道と橋 川・池・濠 山林・土手・馬場・田畑

実線のピンは絵図の上で文字を読めたもの、破線は照合中。 松浦豊後守の屋敷には御紋が付いている。豊後守は平戸藩の分家・平戸新田藩(一万石)の官位で、 嘉永5年(1852)の武鑑も同藩の屋敷を「上本所大川端」と載せる。御紋=上屋敷の印は、分家の上屋敷として合う。 『松浦の太鼓』の松浦侯(本家)の上屋敷は浅草・鳥越(蓬莱園跡)。本家も本所に下屋敷を持ったが、 この区画との関係は要調査。 ——当初この区画を「松浦壹岐守」と読み、上屋敷か下屋敷かで読みが割れていた。 2026年(令和8年)8月、判読の訂正と武鑑の照合で決着した。

演目と土地

Plays & Places
松浦の太鼓
本所松坂町公園(吉良邸跡)

序幕は雪の両国橋。芝居では松浦侯の屋敷は吉良邸の隣家だが、史実の吉良邸の北隣は旗本・土屋主税で、松浦家の上屋敷は川向こうの浅草・鳥越にあった。隣人は別人だった——その落差を歩いて確かめる。三度の観劇記録あり。

記事を読む →
三人吉三巴白浪
大川端 庚申塚 → 両国橋界隈

「月も朧に白魚の」——お嬢吉三の名台詞の川端。歌舞伎を観はじめた最初の月(2016年・團菊祭 夜の部)に出会い、シネマ歌舞伎でも重ねて観た、当サイトの原点の演目。3度目になるはずだった通し狂言は、台風19号で幕が開かなかった。庚申塚の所在も横網町付近説・百本杭説があり、まだ特定できていない。

巡礼準備中
助六由縁江戸桜
吉原 大門跡

花川戸助六が通った吉原。いまは地名と「見返り柳」、大門の交差点名が残る。土地の記憶に敬意を払いながら、演目と場所を結ぶ。

考証中
雙生隅田川
木母寺 梅若塚(向島)

防災団地の中に囲われて残る梅若塚。中世の梅若伝説から連なる「隅田川物」の核心へ、現代の風景から遡る。

考証中

当サイトの作法

Our Rules

一、観た演目だけを書く

生の観劇78回の記録(購入履歴・筋書で裏取り済み)にある演目だけを扱います。

二、歩いた場所だけを載せる

未訪問のスポットは公開しません。写真はすべて自分の足で撮ったもの。

三、出典なき史実は書かない

確認できない話は「伝承」「諸説あり」と明記。わからないことは「要調査」と正直に。