住所を言われた
2019年(令和元年)9月21日、歌舞伎座。秀山祭九月大歌舞伎の夜の部で『松浦の太鼓』を観ていた。松浦鎮信は歌六。3回目だった。
芝居の途中で、イヤホンガイドが松浦邸のあった場所を説明した。浅草橋のあたりだ、と。
え、うちじゃないか。いや、その隣だ。何度も観ているのに、そのとき初めて気づいた。
蓬莱園が松浦家の屋敷だということは知っていた。知らなかったのは、その松浦が、いま舞台の上にいる殿様と同じ家だということのほうだ。住所を言われて、二つが一本につながった。
そのあとも興奮したまま芝居を観た。家に帰ってすぐ、古地図を現在の地図に重ねられるサイトで確かめた。結果はここには書かない。近すぎるからだ。 そのあと引っ越したので、いま住んでいるのはその場所ではない。
その場所なら知っていた。芝居からではない。ゲームの地図の上で、先に知っていた。
蓬莱園跡というポータル
Ingress というゲームがある。ポケモンGOを作った会社が、その前に作っていた位置情報ゲームだ。現実の地図の上に「ポータル」が立っていて——ポケモンGOでいうポケストップにあたる——実際にその場所まで行かないと何もできない。歩くことがそのまま操作になる。
浅草橋に「蓬莱園跡」という名前のポータルが立っている。説明文には、平戸藩主松浦家の庭園の跡だと書いてある。
つまり松浦家の庭の跡だということは、芝居を観るより先に知っていた。知らなかったのは、それが『松浦の太鼓』の松浦だという線が一本、通っていなかったことだけだ。その線が、住所で埋まった。
蓬莱園がどういう庭で、芝居の吉良邸の隣家という設定が史実とどう食い違うかは、『松浦の太鼓』と両国の記事に書いた。ここではその手前の話をする。なぜ私が、芝居より先にその土地を知っていたかだ。
順番を数える
日付を並べてみる。
- 2014年(平成26年)7月14日 — Ingress を始めた。iOS版が出た日だ。Android版が先に出ていて、iPhoneの私は待たされた。ゲーム内のバッジに、この日付が残っている
- 2015年(平成27年)1月13日 — 歌舞伎の入門書を買った。成毛眞『ビジネスマンへの歌舞伎案内』(NHK出版新書)
- 2015年(平成27年)の初めごろ — 蓬莱園跡のポータルを知った。用があって浅草橋の一帯にはよく行っていたので、周りのポータルはひととおり拾っていた。Ingressをいちばんやっていた時期にあたる
- 2015年(平成27年)4月から1年間 — マレーシアにいた。日本の歴史や文化を紹介する機会があって、歌舞伎の話もした。自分は観たことがないまま
- 2016年(平成28年)5月14日 — 初めて歌舞伎座で芝居を観た
引き算すると、Ingress が本より183日早い。ちょうど半年だ。劇場までは22ヶ月ある。
もう一つ、はっきりしていることがある。歌舞伎の本を1冊目に開いた時点で、私はすでに史跡を10件以上、自分の足で歩いて地図に登録し終えていた。 ゲームには「史跡を見つけて申請し、通った件数」を数えるバッジがあって、10件目の日付が残っている——2014年(平成26年)12月19日。入門書を買う、ひと月前だ。
歌舞伎をいつか観たいという気持ちは、これよりずっと前からあった。マレーシアで日本の文化を紹介する側に立って、観ないままでいることがはっきりした、というだけだ。
それでも、本より、劇場より、土地のほうが先だった。
ポータルを立てるという作業
このゲームには、ポータルを自分で申請する機能があった。そして申請できる対象に決まりがあった。歴史や教育の価値がある場所、独特な建築や公共の芸術作品、その土地ならではの隠れた名所——おおむねそういうものだ。公園や図書館、神社仏閣も通りやすかった。いま当サイトが「スポット」と呼んでいるものと、範囲がかなり重なっている。
出すときの手続きも決まっていた。
- 現地へ行って、現物の写真を自分で撮る
- 位置情報をつける
- 説明文を自分で書く
そして早い者勝ちだった。審査は申請の順に行われるから、先に基準を満たした申請があれば、そちらが通ってポータルになる。Android版が先に出たぶん、iOS版の私は出遅れている。だから片端から歩いた。候補を選び、現地へ行き、撮って、位置を取り、説明を書いて出す。
却下されることもある。却下には理由が書いてあって、条件を満たせば出し直せる。通るまでやった。 申請と却下は、Gmail にラベルを付けて管理していた。
日の出とともに取材キットを持って出て、日が暮れるまでポータル候補を追いかけた。家に帰ったら、その日の申請と、次に回る候補の洗い出しをする。自治体の資料や図書館の文献をあたり、ストリートビューで目処をつけてから出かける。
並べてみると、いまやっていることと同じだ。
この前の両国の取材も、ふだんは8時まで寝ているのに6時半に起きて、7時には家を出ていた。仕事でもそんなに早くは行かない。
出した申請は、2014年(平成26年)8月から12月までの5ヶ月で約600件ある。ならせば1日4件だが、勤めに出ながらの5ヶ月なので、実際は休みの日に固まっている。そのうち通ったのが233件。バッジは200件以上の金色になった。600件出して233件。通ったのは4割弱だ。
このバッジは、こういうストイックな行動をしないと手に入らない。プレーヤーのあいだでは変態の印として有名だった。
バッジの集計は2014年の暮れで打ち切られたので、私の申請もそこで終わっている。数えられなくなったからやめた、というだけの話だ。 審査のほうはその後も続き、最後の却下通知が届いたのは2021年(令和3年)4月20日。出し終えてから、返事が出そろうまでに6年以上かかったことになる。
そして、そのとき立てたポータルのいくつかは、いまもポケモンGOのポケストップとして地図の上に残っている。知らない人が、私の申請した碑の前で立ち止まっている。
このサイトの規則は、そこから来ている
当サイトの決まりごとは、サイトを作るときに考えて決めたものだと思っていた。違った。 並べてみると、12年前の申請の要件そのものだ。
| ポータル申請の要件 | このサイトの規則 |
|---|---|
| 対象は歴史や教育の価値がある場所・公共の芸術作品 | 演目の舞台になった実在の場所 |
| 現地で現物の写真を撮る | 写真は現地で自分で撮ったものだけ |
| 位置情報をつける | スポットに緯度経度を持たせる |
| 説明文を自分で書く | あらすじ・解説はすべて自分の言葉で書く |
| 現地に行かないと申請できない | 訪問していない場所は公開しない |
| 却下理由を読み、条件を満たして出し直す | 「要調査」で保留し、裏が取れてから書く |
| 自治体の資料や図書館の文献で候補を調べる | 現地の板が挙げる書名から原典にあたる |
| ストリートビューで目処をつけてから出かける | 取材前に切絵図と現在の地図を突き合わせる |
| Gmail のラベルで申請と却下を管理する | 購入履歴のメールから観劇の台帳を作る |
いちばん下の行が自分でも意外だった。当サイトの観劇記録は78回ぶんあるが、これは記憶で書いたものではなく、チケットの購入確認メールを1通ずつ突き合わせて作った台帳だ。台風で公演が中止になった2回を「観ていない」と訂正したのも、その突き合わせの途中で見つかったからだった。
ただし、申請の管理を思い出しながらこれを作ったわけではない。 観劇の記録を作るとき、メールを見ればわかるはずだと思って探しにいったら、すでにラベルがついていた。 12年前の自分が付けたものだ。そういえばそうだった、と思い出したのは、それを見てからだった。
知らずのうちに巡っていた
Ingress を始めてからの何年か、ゲームのためだけに出かけた。都内を歩き回り、バスでも回った。日本中へ行ったし、ときには海外まで行った。
当時いた埼玉県杉戸町のあたりでも、片端から申請した。日光街道の杉戸宿があった土地だから、碑や古いものが多い。
マレーシアにいた1年も、同じように歩き回っていた。 着いた初日にゲームの中で仲間を見つけて、その面々とタイまで遠征した。日本から来た同じゲームの友人と、マレーシアを巡ったりもした。日本の文化を紹介する側に立っていた1年、私は歌舞伎を観ないまま、よその国の土地を巡っていたことになる。
そのころ、自分が何を巡っているのかは考えていなかった。史跡を巡っているつもりはない。ゲームをしていただけだ。ただ、もともとそういうものが好きだったのだとは思う。
ゲームと関係なくやっていることもある。都内で道が不自然に曲がっていたら、川の跡を疑う。橋の名前のついた石碑を見つけたら、暗渠を疑う。近くの小さな社まで行くと、銘板にその説明が書いてある。引っ越してきたばかりの頃、実際にこれをやった。鳥越川だった。
どちらが先なのかは、もう分からない。ゲームがそうさせたのか、もともとそうだったのか。ただ、巡ってはいた。
だから、聖地巡礼のほうが先だったことになる。芝居を知る前に、その土地には行っていた。
一つ、はっきりさせておきたいことがある。蓬莱園跡のポータルは、私が立てたものではない。 どこかの誰かが現地へ行って、碑の写真を撮って、説明文を書いて申請した。私はそれをただ受け取っただけだ。5年後にその説明文が、劇場の客席で効いた。
ついでに書くと、その説明文はここを松浦家の別邸の庭園跡としている。上屋敷ではないのか、と思って調べたら、どちらも正しかった。 寛永9年(1632年)に拝領したときは別邸で、寛永18年(1641年)に上屋敷が焼けた翌年から上屋敷になっている。遊ぶ人が書いた説明文は、私が思っていたより正確だった。
それで、いま書いている
このサイトは、昔からやりたいと思っていた。思っていただけだ。腰が重くて、ずっとやらなかった。
やらないうちに、世の中のほうが先に整った。古地図は家で読める。国会図書館は画面の中にある。書いたものは自分で出せる。そして調べものには、AIという相棒がついた。このサイトの考証と裏取りは、AIと手分けして進めている。観た感想と歩いた実感だけは、私が書く。
好きなことを好きなだけやれる時代が、腰を上げるより先に来た。 土地のほうが先で、道具のほうも先だった。遅れて来たのは私だけということになる。
出典・参考(9件)
- 観劇の日付・劇場・演目: 手元の観劇台帳(非公開)。チケットの購入確認メール、国立劇場チケットセンター・チケットJCB・チケットぴあの記録、2016年分は当時の自分のSNS投稿を突き合わせて作ったもの。3回目の『松浦の太鼓』は2019年(令和元年)9月21日 歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎 夜の部(松浦鎮信=五代目中村歌六)。演目・配役は歌舞伎公演データベース kabukidb 752で確認
- 蔵書の入手日: 蔵書カタログ(Amazon購入履歴由来)。成毛眞『ビジネスマンへの歌舞伎案内』NHK出版新書
- 位置情報ゲームの開始日・申請件数・バッジ: ゲーム内の記録(2026年(令和8年)8月14日にスクリーンショットで確認)
- Ingress iOS版の配信開始が2014年(平成26年)7月14日であること: 週刊アスキー 2014年7月14日
- Seerバッジの集計停止(2014年〈平成26年〉12月31日)と復活(2025年〈令和7年〉11月10日): Ingress Wiki「Seer」/Niantic Operation Portal Recon & Seer Returning to Ingress。なおポータル申請の受付そのものが止まっていたのは2015年〈平成27年〉9月から2017年〈平成29年〉9月まで(Fev Games「Nominations」)で、バッジの停止とは別の話
- 申請件数・却下通知の日付: 自分のGmail(
label:portal-submittedほか。2014年〈平成26年〉8〜12月の申請、最新の却下通知は2021年〈令和3年〉4月20日) - ポータル申請の基準(歴史や教育の価値/独特な建築や芸術作品/その土地ならではの隠れた名所): Fev Games「Nominations」。⚠️ ただしこれは申請が2017年(平成29年)に再開されて以降の公開文面で、私が出していた2014年当時の文面そのものは確認できていない。当時の運用(早い者勝ち/却下には理由が書かれ、条件を満たせば出し直せる)は、自分に届いた申請・却下の通知メールによる
- 蓬莱園の沿革(寛永9年〈1632年〉に別邸として拝領 → 寛永18年〈1641年〉の火事の翌年に上屋敷)と松浦家上屋敷の考証: 『松浦の太鼓』と両国の記事。一次資料は同記事の出典欄にまとめてある
- イヤホンガイドの文言は転載していない。松浦邸の所在が説明されたという事実のみを書いている